懐かしいカメラ 其の一

フジペット(FUJIPET)

富士写真フイルム

 フジペットというカメラをご存じであろうか。
40代後半から50代の方にとってこの名前は小学校の遠足や修学旅行とともに思い出す、懐かしい響きのカメラである。
ご存じない方には、所謂団塊の世代が小学生の頃初めて触ったカメラというと、何となくこのカメラのイメージが湧くかもしれない。

 当時カメラは(まだ写真機と呼ぶ人が多かった)高級な精密機械で金持ちの趣味として幅を利かせていた。そして機材や感光材を買うお金だけではなくカメラを使うための撮影技術として露出の設定、さらには写真技術としてフイルムの現像、印画紙への引き伸ばしが出来なければプリントとして写真を見ることが出来なかった訳で素人にはおいそれと手が出せるような代物ではなかったのである。それだけにカメラへの憧れは強く誰もが自分で写真を撮ってみたいと思っていた時代である。

 その昭和30年代中頃にでてきたのがフジペットである。フィルムメーカーが作った子供向けのおもちゃと思われていたがなかなか意欲的で、今ならさしずめ次世代を睨んだ戦略的な製品というところである。

 スペックはブローニーフィルム使用で66サイズ。レンズの焦点距離は不明であるが(75mm位と思われる)明るさはF11の固定焦点。そして絞りは11、16、22の3段階でシャッターはB(バルブ)とI(1/30位と思われる)2段階、レンズ鏡筒にあるレバー1でセットそしてレバー2でレリーズとなっていた。フィルム装填は底と裏が一体式の蓋を取り外してフィルムを入れ裏紙(遮光紙)を引き出して反対側のスプロールに入れるブローニーフィルムの標準的な方式である。フィルム巻き上げは軍艦部左のノブで行いフィルムカウンターは後ろの小窓からフィルムの遮光紙についた番号の位置で合わせた。ファインダーは透過式である。価格はケースストラップ付きで2000円を切っていたと記憶しているが定かではない。小学生向けとしてかなり高価であったがびっくりするのはレンズフードが組み込まれ、しっかりとした三脚用ネジ穴と軍艦部右側にはアクセサリーシューが付いていたことである。シンクロ接点がないカメラにどのような使い道があったのか知らないが子供心にホンモノを感じさせた部分ではあった。

 子供向けとはいえ上記のようなスペックを持ったカメラがでてきたことは大変なことであった。66サイズの正方形フォーマットは撮影時に画面構成での縦横を考えなくてもよいことや、前述のシャッターチャージからレリーズの動きをスムーズに進める事が出来て撮影者にとって扱いやすい。そして何よりも66サイズは現像の後に密着のみでそこそこ見られるプリントが出来るという面で子供という市場に向けたカメラとしての経済性も考えられていた。

 富士写真フイルムはフィルムメーカーとして、当時は主力製品であったネオパンS、SS、SSSというASA感度50、100、200のブローニー白黒フィルムを作っていた。カメラの裏蓋(内側)にはそれらのカラーイラストがついている。感度により箱は黄色ベースに紺、茶、緑で普通は茶色のネオパンSSを使っていた。コダックフィルム外箱の黄色はコダックカラーとして有名であるが当時国産フィルムもコダックに習ってベースカラーを黄色として製品名を金赤で表示していたことはあまり記憶になかったが、コダックがスタンダードな時代ならではの事であろう。 余談であるが当初から何語でもコダック(Kodak)と読めるネーミングやクロームイエローをコーポレーイトカラーとしたコダックの先進性には驚かされる。感光材から写真薬品までのスタンダードはコダックなのであると改めて感じさせられた。

  このフジペット、当然の事すべてマニュアル操作ではあるが日中屋外での撮影は案外シャープな写真が撮れたことを記憶している。ただし私は友人から借りて使わせてもらっただけで所有することはできなかった。子供の小遣いでカメラは何とか買えるといってもDPEはお金がかかるのである。

 この後フィルムが35mm化され機構的にも向上したフジペット35が出たが記憶に残っていない、というかフジペットのイメージはこれだけだったような気がする。写真の大衆化はこのカメラから始まったといっていいだろう。戦後の何もない時代から高度成長期に向けた動きがこのカメラの出現にもみてとれる。
手元にあるこのフジペットは壊れて撮影不能である。出来ればネオパンSSを使ってあの日を再現してみたいものである。

2000/08/28

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