懐かしいカメラ 其の二

ピッカリコニカ(Konica C35 EF)
ジャスピンコニカ(Konica C35 AF)

小西六写真工業

 このコラムで採り上げたいカメラのリスト上位に入っていたのが、コニカのエポックメーキングカメラ2機種である。実機が手元にないので記憶だけではアヤフヤであるし、事実誤認があったら大変と謂う訳で資料が見つかったらと思っていた矢先、8月28日NHK総合TVの「プロジェクトX」(参照1)でこのカメラと開発を担当した技術者の事が電波に乗って放映された。ごらんになった方もいるとは思うが・・・と謂うことで私もNHKの番組に触発され(ただ単に尻馬に乗っているだけ?)今回の稿となった。

 ご存じの通りピッカリコニカ(Konica C35EF)は最初のストロボ内蔵コンパクトカメラであり、1977年発売のジャスピンコニカ(Konica C35AF)は世界初のオートフォーカスカメラである。

 ピッカリコニカは暗いところでもカラー写真が写せる事で一般写真市場を拡大した。暗いところではフラッシュが一般的であったがカラー化と共にストロボ(スピードライト)が普及したものの外付けの機器は上級者でなければうまく扱えなかった。ピッカリコニカはそれを内蔵することで初心者でも昼夜を意識しないでうまく写真が撮れ、これまでの常識を覆した。

 この頃コニカはカラーフィルムを始めとした感光材で富士フイルムに先を越され、一眼レフカメラでもニコン、キャノン、旭光学などに水をあけられていた。写真技術を応用した事務機器を事業の柱とするべくユービックス(U-Bix =優美?)というコピー機が出てきたのもこの頃であろう。しかしコピー分野ではリコー、キャノンといった光学機器メーカーだけではなくフジフィルムと組んで日本市場に入ってきたアメリカのゼロックスや東芝、シャープなどと競合になった。この時期ピッカリコニカはコニカの救世主であった筈である。
 ジャスピンコニカのオートフォーカスモジュールは米国ハネウェル製と当初から知られていたが、コニカが独自にオートフォーカス機構の開発を行っていたことはあまり知られていない。当然といえば当然であるが自社が開発しているものは、商品化するまでは関係する社員以外は知らない。まして商品化できなかったものは数限りなく有るはずだが番組の中ではそれらをかいま見ることが出来た。

 番組で採り上げられた一眼レフタイプのオートフォーカス(以下AF)は光学機器メーカー各社が開発していたが、それらは大きさといい形といいそっくりである。光学系に電子回路と駆動機構をプラスすると同じようになるのかもしれない。ある意味では必要性から出てきた似たもの同士ということであろう。

 AFは一眼レフと思っていた写真好きにとどまらず、実際ジャスピンコニカデビューのインパクトは一般ユーザーにとって最も大きかった。だれでもピンボケが無いというのは大変なことであった。何故なら一番難しいといわれた露出が自動化されストロボが内蔵されてみると適正露出でもピンボケ写真が多く、実際にはボツの写真だったのである。当時のカメラは二重像合致(ゾーンフォーカスもあったが)が多く、ピントがあった状態が見られる一眼レフ以外のピント合わせは使いにくいモノだった。ということでそれまでは撮影済みフィルムを現像に出すときコンタクト(密着焼き)を作り、そこでピントや露出をチェックしていいコマだけをプリントしていたのである。東京オリンピックあたりから増えだしたカラープリントはこの頃には一般に定着し、カラーラボ(現像所)が増え同時プリントが日常化してきたことも背景にあり、現像所に直結する感光材(フィルム、印画紙)メーカーとしては「ピンボケプリントを焼いて金を取るのか」とユーザーにいわれないためにもAFカメラは待ち望んでいたモノといえる。

 さて肝心のメカであるがどこといってAF以外に特長のないコンパクトカメラである。一見して分かる特長のAFはファインダー部分に付いた2ヶ所の受像部で行う。だが、最初はレンジファインダーカメラでいうところの有効基長がこ程度で大丈夫なのかと思ったのも事実。このあたりも番組でメカニズムを紹介していたが受像ミラーを微妙にコントロールしているとのことである。ヘキサノン38mmF2.8という広角系レンズの写り具合はなかなか素晴らしくAFの実力を世の中に認めさせた功労は大きい。
 但し当時のAFは直線的な動きの被写体は兎に角、子供が走り回ったり車のような速い被写体は不得意であった。特にコンパクトカメラのシャッターボタンはストロークが長く節度感が無く、ジャスピンコニカもその例に漏れず動体にはシャッターチャンスを合わせ難かった。走って来る車を撮ったら後ろ半分しか写らなかったり、電車の中から景色を写すと電柱が真ん中に写ったことも数多く経験した。カップルを写すとバックが良く写り人間がピンボケになるトラブルがあった。これはファインダーの中心にあるピント合わせ用のマークが、2人の場合はちょうど間に来るために背景にピントが合う機構的な問題で、使う人がフォーカスロックで回避すべきことであったがAFのウィークポイントなのは事実で、あれこれ批判された。

 これで思い出すのは観光地などでよくカップルから「シャッターを切って下さい」と頼まれることがあったが、必ず彼女にピントを合わせ「はいチーズ」でシャッターボタンを押した。その後「どうも有り難うございます」といってカメラを受け取りに来る彼に「お疲れさん、君にはピントは合ってないかもしれないけれど ・ ・ ・」と心の中で呟いたものだ。どのみち彼女にピントが合っていることが二人にとっても大切なのである。

 カメラの質感はかなり前の世代のコニカSⅡ(参照2)の方が上である。ピッカリコニカを含むこの時代のカメラは生産性と軽量化を考慮してプラスチック部品を増やし、コンパクトカメラではボディーもプラスチックになっているものが多くこのあたりも質感に微妙な影響を与えているようだ。 

 小西六写真工業からいつの間にかコニカになってしまったが、私にとってコニカのイメージは小西六のサクラフィルムや印画紙であり、学生の頃見学に行った日野工場である。武蔵野の面影があった工場周辺と古くなったセピア色の印画紙のイメージがダブるモノクロの時代である。

2000/9

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