懐かしいカメラ 其の四

オリンパスペンEE(OLIMPUS Pen EE) オリンパスペンFT(OLIMPUS Pen FT)

オリンパス光学工業

 昭和30年代から40年代後半まで35mmサイズカメラ全盛のなかで、コンパクトを売り物にしていたカメラがある。

 同じフィルムを使って倍の枚数を撮影できるハーフサイズカメラ(画面サイズ18×24mm)である。キャノン、富士、リコーなど各社こぞって発売していたが代表はなんと言っても1959年にこのサイズを最初に採用したオリンパスペンであろう。初代で代表的なペンからペンS、ペンEE、ペンDなど学生からプロ写真家まで幅広い層に支持されていたカメラである。

 映画用の35mmフィルムを使用したライカに始まる35mmスチルカメラ(通称ライカ判、動画Movieに対しての静止画Stillに由来するスチル)は映画方式のフィルム縦送りではなく横送りで画面サイズが横長の24×36mmとなった。つまりハーフサイズ自体は珍しいものではなく映画自体がハーフサイズであり、こちらがオリジナルと言う意味では35mmカメラは倍判またはダブル(フレーム)サイズといってもいい。

縦送り


横送り

 露出とピント合わせは機種により違うが、お気に入りのペンEEは自動露出で露出オーバーやアンダーになるとファインダーの中(下方)に舌のような形状の警告マークが出てシャッターボタンが押せない機構になっていた。仲間内ではこれを「赤ベロが出た」と言っていたが他でもそうなのか定かではないが、言い得て妙である。

 レンズはD.Zuiko(瑞光)の28mmF3.5 ピント合わせ無用の固定焦点だが結構いい写りだった。フィルム感度はASA10~200、絞りは3.5~22まででX接点を持っていた。

 裏技であるが、赤ベロが出た場合は写りそうな明るさのところにカメラを向けシャッターを半押ししもう一度被写体に向けてシャッターを切った。現像と引き伸ばしでコントロールしなければならないが、こんな時コダックのTri X(ASA400)を使うと実にうまく写るので裏技と思っていたが、誰でもやっていたので知っていると上級者らしいただのテクニックになってしまっていた。

 当時の小型精密といったイメージを具体化したオリンパスペンは、36枚撮りフィルムで72枚撮れフィルム代と現像料のランニングコストの低さも受けて幅広いユーザーに使用された。特にメモ代わりの記録やスナップがペンと言うネーミングとぴったりであったこともヒットの理由であろう。修学旅行やハイキングなど行動派のカメラとして、また写真のプロがサブ機として使うことで他機と差別化を図るなどの各方面での活躍が積み重ねられ、他のハーフサイズカメラにはないアクティブでありながらインテリジェンスを感じさせるカメライメージが形成された。

 1963年にはペンの上級機として一眼レフタイプのペンFが独自の機構で発表された。ペンタプリズムではなくポロプリズム、膜走りフォーカルプレーンシャッターではなくチタンのロータリーシャッター(B、1~500 X接点全速同調)など、ここでも35mm一眼レフと差異を打ち出し42mm F1.2(H.Zuiko)という大口径レンズやTTL測光(ペンFT 1966年)でシステムカメラとして存在感があった。OM1が出てからもOM1用のレンズを使えるアダプターがあり製造中止後も新しいレンズが選択できた。

 当時のフィルム性能では引き伸ばすと35mmカメラと差がついてしまい、せいぜいキャビネまでと言われたが、現在のフィルムを使用したらどのような仕上がりになるのか興味深いことである。(実際にはどうであろうか?ということで実機にフィルム装填したが、動いてはいるものの調子がイマイチでテストは難しかった)
 学生の頃、教授の板書が速くノートがうまく取れない授業に仲間のペンEEを記録用として使ってみたが、フィルム現像そして引き延ばしの手間とコストが大変でしかもシャープさには欠ける印画紙からのノート作りはもっと大変な時間と手間がかかって諦めたことがあり、実際にはカメラの持つイメージ通り行かないことも経験した。(今考えればとんでもなく馬鹿げている、がしかしテープレコーダーで授業を録音しようとした猛者もいる。)
デジタルカメラの話題が多い現在であるが、何と言っても昨年(2000年)のエポックはニコンSP。何しろ昭和30年代のカメラが復刻され、それも軽自動車並の値段で売れる時代である。オリンパスペン、特に小型でも重厚なペンFを手にしてみたい人は多いはずである。コンパクトなカメラは多々あるが、復活させたいカメラのナンバーワンである。

2001/01

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