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懐かしいカメラ 其の五
東京オリンピック(ニコンF)

 アテネオリンピックも終わり、深夜のテレビ中継から解放された。夜中に眠い目をこすりながらオリンピック観戦は寝不足で仕事がつらい日もあったのではなかろうか。金メダルは東京オリンピックに並ぶ16個、選手達の素晴らしい活躍の賜である。

 その東京オリンピックは、1964年(昭和39年)戦後復興から高度経済成長の日本を世界に印象づける一大イベントであった。晴れの特異日であった10月10日(後の体育の日)抜けるような青空にジェット機の編隊が鮮やかな5色で五輪マークを描いたことを思い出す。
東京オリンピックでは日本人選手の活躍だけでなく、報道用カメラでも国産が世界に確固たる地位を築く機会になった。それまで報道用はニコンSシリーズが気を吐いていたものの、ライカの独壇場といっても間違いではなかった。精密・堅牢・拡張性どれをとっても報道用機材として信頼に応えられる性能を持っていたためで、国産カメラは一眼レフが出たとはいえライカに比較すると報道用に使える状況ではないといわれていた。

 しかしその中で1959年に発売されたニコンFはニコンSPと同様のボディ形状や操作系と、ファインダーの視野100%、ミラーのクイックリターン、レンズの自動絞り込みなど現在のカメラとしても充分通用する基本スペックであった。加えてペンタプリズムファインダー・ピントグラス交換などシステム指向を持ち、超広角から超望遠まで多数の交換レンズ、モータードライブやスピードライト、接写や医療用などなど幅広い分野でプロが使える周辺機器が充実しつつあった。

 学生時代に直に見て感動した東京オリンピック。報道用として競技場に並んだニコンの黒いレンズも強烈な印象であった。当時のニコンレンズは鏡胴のピント合わせ指標と被写界深度目盛り(深度ごとのカラーリングが施されている)がシルバーで全体の黒に対してアクセントになっていた。そして東京オリンピックは、まさにニコンFが世界に対し報道用としてアピールできる最高の舞台となった。

 さて、このコラムのトップページの写真は三角形のペンタプリズム部が美しいニコンF、そしてアクションファインダーを装着したタイプである。アクションファインダーは接眼部から目を離してピント合わせが可能で、スポーツなど動きの激しい被写体に向いている。

 ファインダーに露出計が組み込まれたのがフォトミックで、初期の外光式からレンズを通った光を測るTTL平均測光(T)から中央重点測光(TN)と進化しレンズ設定の変更によってFTNとなった。(写真1)

写真1

 TTL測光に関していえば他社はレンズマウントや機構(本体との結合方法)を変えてしまったのに対し、ニコンはシステムの互換性に力を注ぎ一部改造で対応できたことは報道を含むプロの信頼を高めたところである。

 当時のプロモデルといえばなんといってもモータードライブである。秒2〜4コマ(H〜L切り替えでシャッター速度による、 写真2)のスピードは手巻き上げが当たり前の時代に、アマチュア垂涎の的であり、望遠レンズとモータードライブそして長尺フィルムマガジンはプロユースそのものであった。他社製品はモータードライブ専用機があったのに対し、ニコンFでは本体に取り付ける方式であった。特に裏蓋と底蓋が一体でありモータードライブも裏底蓋一体である。

写真2


バッテリーケースは分離式(写真3)と本体に合体させる方式(写真4)がある。
写真(5)は合体式のもので角張った本体に合わせ機能を優先させた形状となっている。

写真3

写真4

写真5

 当時のレベルではニコンFに機能やシステムとしての弱点は見られないが、ポピュラーなアサヒペンタックスSV・ミノルタSRなどと比べると当然高価で、フォトミックファインダーや大口径レンズを揃えることは一般のアマチュアには高嶺の花であった。ポピュラーといってもアサヒペンタックスやミノルタSRが大学卒の初任給で買える値段ではなかったのだが・・・。

 ニコンFは後継機のニコンF2が発売された1971年以降も生産され続け、1974年に86万台で生産終了するまでロングセラー機として君臨し、性能・品質は写真業界のベンチマークとなる製品であった。それだけに材質やパーツに細かな変化があり、特徴的な巻き上げレバーも最終型ではニコンF2と同様の形状になっている。(写真7)

写真7

 後継機ニコンF2はニコンFを徹底的に見直しその上で新たに設計されたといわれ、デザイン的には角が取れマイルドなイメージになった。特に裏蓋開閉式は格段に扱い易くなり信頼性も高く、機械式カメラの優等生といってもよく現在も数多くのニコンF2が現役として活躍している。私も使いやすさ(グリップ・バランス)と信頼性(寒暖・ホコリ)で1台使用しているが、知人もニコンFと口ではいいながらニコンF2を持ち歩くような感じで名前がゴッチャになっている。なぜかF2はイメージでは初代の陰に隠れ越せないでしまった。

映画の小道具としてニコンFの出演回数は多く、カメラマンや撮影場面が出てくると大抵はニコンFを持っている。「コンドル」(原題 3 Days of The Condor、監督シドニー・ポラック、音楽デイブ・グルーシン1975年、米)原作は7 Days of The Condorだったと記憶しているが、CIA職員でありながら陰謀によってその組織に追われるロバート・レッドフォート、事件に巻き込まれる写真家フェイ・ダナウェイ。彼女の部屋でのラブシーンに風景のモノクロプリントがフラッシュされその中にニコンF(フォトミック、50mm F1.4付?)も出てくる。部屋の中はモノクロプリントのパネルが飾られスタジオ用の大型ストロボや三脚が置いてあり印象的なシーンであった。

 ところで今回のアテネオリンピックでは報道用カメラに異変が起きた。テレビで見た人も多いと思うが鏡胴が白いレンズ、つまりキャノンがどこの会場でも圧倒的であった。6月に発売されたEOS-1D MKIIの活躍が目立ち、速写性そして画像ノイズの少なさは新聞報道のカラー写真でもはっきりしていた。ほとんどの報道機関がキャノンを採用し、ニコンは数社だけとのこと。因みにニコンD2Hはシャドウ側のノイズがとれず苦しんでアテネまでに解決できなかったとか・・・画像素子を自社製作しているキャノンとニコンの差が出ているのか?それともフィルターや回路なのか。

 デジタル化ではニコン、キャノン共にフラッグシップからお手ごろ価格の一眼レフまでを出して競っているが、コマーシャル用としてEOS-1Dsの完成度の高さや、EOS-kissDまでの進化を考えるとアテネでの活躍も納得でき、トータルではキャノンのEOSシリーズに軍配が上がると思うのは私だけでなかろう。いずれにしても「報道用はニコン」という時代は銀塩フィルムの時代であったということにならないようにがんばってもらいたい。

2004/09/09

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